大会プロデューサーの横顔


【大会プロデューサーの横顔】

 

運営・指導履歴

 

陸上競技イベントプロデューサー。
陸上競技多摩川クラブ員
元多摩川クラブ練習会代表、コーチ

ランニングマイスター中級。

冬季に毎週行う30kmのオープン練習会を立ち上げ、約10年間運営。

【ランナー歴

 

高校時代、インターハイに3種目、2度出場(長野、岡山)。

両方、すべて予選落ち。


筑波大陸上部へ。

1年は中距離ブロック。2年から長距離にも取り組む。
3年春の関東インターカレッジ大学代表出場

3年の夏合宿で膝に重度の故障、一ヶ月の入院手術。
しかし、卒業まで完治することなく、競技活動はあっけなく終了。

大学での競技活動は実質年。
「まだまだ伸ばせる」と思っていたので、
失意は深く「もう、一生走らない」と思った。

 

大学ベスト記録

 800m      1599(サブ2達成)

 1000m     237秒(サブ3達成)

 1500m     4018(サブ4ならず)

 5000m    15122秒(サブ15ならず)

 10000m  3142秒(サブ30ならず)

 10マイル 5156

 20km    1時間0519

 30km    1時間4206

 

週末は身体を動かしたいので、もっぱら登山かゴルフに取り組んだ。
ゴルフはロングパットの距離感があまりに悪く、諦めて終了。(ベストスコア
90

登山は、沢登り、冬山、クライミングと、バリエーションにも取り組んだが、気楽に登りたいと、尾根歩きに引退。

日本百名山を目指すことにした。

100座達成)

 

2005年秋 46

登山道を走るトレイルレースの存在を知り、参加してみたいと、
トレーニングとして平地のランニングから始める。

初市民レースは、いきなり雨の「日本山岳耐久レース」(72kmトレイル)。
闇夜のぬかるんだドロドロのコース、何度も滑落し死の恐怖に襲われたとこ
ランプ切れの高校生を救出。
一緒に下山。42kmで中止。

 

2006年秋 47

1年間、トレイルレースしか参加していなかった。

ロードもトラックもこの時は、やる気無し。

しかし、ブームとなってきた「フルマラソンというものを一度完走してみよう」と、多摩川フルマラソンに初参加。

3時間3643秒。

完走で十分と思っていたが、なぜか「生涯記録」とするのに不満を感じて、マラソン取り組み続行。

 

2007年春 47

1回湘南マラソンで3時間15分。

この記録なら自分で「生涯記録」として許せる気がし、満足してマラソン取り組み、一旦終了。

ところがなぜか、第2回東京マラソンに応募して当たってしまう。

「マラソンはやめると思っていたが東京は走りたい、どうせならサブスリーというものを、東京で達成してやめよう」。

 

2008年春 48

いきなり月間400km超えを2ヶ月連続こなして、膝に重度のケガ。

学生時代を思い出して愕然としたが、なんとか東京マラソンのスタートはかなった。
35km、膝の激痛で一度は路上にうずくまったが、復活。

グロス2時間5723秒で初サブ3達成。

 

これでマラソンを止めるはずが、途中でトイレに行って出たタイム。
「マラソン生涯記録はまだ伸ばせるはず」と続行。

 

多摩川クラブに入会。

結局、マラソンはやめられず。

東京マラソンでの初サブスリーでマラソンを辞めるはずが、逆にハマりこんでしまう。

 

2019年春 59

3月の古河はなももマラソン(2時間5752秒)。
40度目のサブスリー達成。

マラソン出走43レース中、40レースをサブスリーで走ることができた。
(40レースサブスリーは連続


その間のマラソンベストは別大での
2時間4308秒。
マラソン全国ランキングは、3位を2度獲得。

 

富士登山競争3時間36分)、100kmウルトラマラソン(8時間34分)

100kmトレイル、24時間走(181km)などチャレンジしてきて、個人的に「もー十分」。

 

24時間走世界選手権(ポーランド)にハンドラーとしてサポート遠征

 

いつまでも自分の満足を追求しているより、多くのランナーに喜んでもらえるレースをぜひ実現したい。
「川崎国際
EKIDEN」をプロデュース、運営。

 

他プロデユース

「川崎国際10kmマラソン」
「元旦初走り多摩川マラソン」

「ラッキーセブンディスタンス陸上競技大会」


川崎国際EKIDEN2024                                         川崎国際駅伝2024